毎日の繰り返しの勉強法
「勉強」という言葉に嫌悪感をもつ方が少なくないのは嘆かわしいことだ。多くの場合それは親や教師から命令されて無理に勉強「させられた」からだろう。 無理やりやらさられたのでは、勉強をおもしろいと思うはずがない。
たとえ嫌悪感をもっていなくても「勉強=教科書を読み、問題集を解きまくる」というイメージをもっといるために、 日常と勉強の精神的な距離が遠くなってしまっている人もいる。
私は、どちらの場合も原因は「勉強に対する悪いイメージ」にあると思う。 私は勉強が大好きである。今も昔もそれは変わらない。遠い存在などでは決してない。 なぜならば勉強は生活の一部であるからだ。
テレビの放送で聞いたことのない国名を知った。さっそくテーブルの上にある地図帳で位置を確かめる。 そしてイメージを固め記憶に定着させるために、国勢調査張で特徴などを調べる。そうしているうちにその国家周辺の紛争問題を知る。 原因を調べてみるとそれには歴史問題が関わっていることが分かった。
歴史問題を調べているうちにかつての西洋列強の植民地政策にまで勉強が及んでしまった。 この場合、勉強のきっかけは「知らない国名」である。しかし最終的には紛争問題や歴史問題にまで知識が通ずるようになる。 私はこの勉強の間世間を忘れ、悩みを忘れ、ストレスを忘れ、楽しい時間を過ごすことができた。
だが、もしもこれが義務教育だったら不快な気分を味わっていただろう。 私がブタだったら、もし狭い小屋に押し込められ、管から無理やり食道にエサを流しこまれたら間違いなくストレスを感じる。
だが豊かな大自然のなかで自由に歩き回り好きなものを好きなタイミングで食べればきっと幸福になれるだろう。 「嫌な勉強」と「楽しい勉強」の違いはこういうことだと思う。
人間には知的好奇心を満たしたいという欲求がある。もしも勉強をその欲求を満たすための手段とすることができたなら、人生は豊かになる。 勉強は楽しい。